台湾ブームの今だからこそ日本人に知ってもらいたい『二・二八事件』

2019/05/30
 
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yoshiyuki46
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台湾ブームにわく日本

最近東京の色々な場所でタピオカミルクティーが売られています。タピオカミルクティー美味しいですよね!私も大好きです。

タピオカティーは英語ではbubble tea、中国語では珍珠奶茶と言います。

タピオカミルクティーだけではなくて、色々な台湾料理の店が日本に進出して、台湾フェスティバルも頻繁に開かれています。

旅行会社のCMには台北の文字が並び、台湾に旅行してきた、留学してきたという日本人にも沢山会ってきました。

しかし、台湾がついこの間まで国民党一党支配の下、民主主義とは程遠い環境に置かれていた事、国民党が行った大規模な虐殺事件『二二八事件』の事を多くの日本人は知りません。

二・二八事件の背景

1945年、第二次世界大戦で日本は負けて、台湾は日本籍から外れて、中華民国が統治する事になりました。

日本の統治から中華民国への統治になり、喜ぶ人もいたようですが、中華民国の統治の酷さに次第に戦前から台湾に住んでいた人達は反発をするようになります。

中華民国は国民党が設立した国で、国共内戦で国民党が中国大陸から撤退し、国連で中華人民共和国が国として認められるまでは、国民党が設立した中華民国こそが名実共に大陸・台湾双方で中国として各国から認識されていました。

当時国民党は中国大陸にて共産党と交戦中でしたので、優れた官僚・軍人達は前線に送られていたため、台湾を統治していた官僚・軍人達はあまり優れていない人達でした。

そのため、強姦・強盗・殺人などが起こっても処罰されないという事があったり、不正や経済の不安定さから失業者も相次ぎ、社会不安が高まっていました。

『 何日君再来 』という歌が歌われたり、『 狗去豬來 』(犬【日本人】が去って、豚【国民党】が来たという意味)が流行りました。

日本統治時代が全ては良いとは言わないにしても、国民党の統治の仕方よりはましだという風潮が蔓延していました。

そして悲劇が・・

1947年2月27日に闇タバコを台湾で販売していた女性を、国民党の官憲が摘発を行いました。女性は必死に許しを求めますが、官憲は女性を銃剣で殴打した上で、商品と所持金を没収しました。

当時の台湾では日本統治時代の専売制度を引き継ぎ、酒・砂糖・タバコ・塩などは中華民国によって専売とされていました。

しかし中国大陸ではタバコの自由販売が許されており、大陸と台湾で措置が違う事に台湾人は反発をしていました。

そういった背景もあり、多くの台湾人がタバコを販売していた女性を擁護しようと、女性の下に集まりました。

すると、それを制圧しようとした官憲は群衆に対して威嚇発砲を行いますが、弾は不幸にも無関係の台湾人に当たってしまい、その人は死んでしまいました。

この事件の翌日28日から、日頃から中華民国に溜まっていた不満が爆発し、多くの台湾人が市庁舎にデモ隊となって集結します。

国民党はこのデモ隊を制圧するべく、市庁舎の上から非武装の台湾人に向けて機関銃での発砲を行います。それにより、多くの台湾人が死亡したり、負傷をしてしまいます。

その後国民党は台北以外にも進軍をして、無差別発砲や処刑を行います。

高まる抗議の波

それに反発を持った台湾人達は各地で抗議活動を開始。台湾人達は日本語や台湾語であらゆる人に話しかけ、それに答えられない人を大陸からきた人間とみなして、暴行を開始。

日本語を話せない台湾人もいたため、そんな人にも分かる『君が代』を歌う事によって、大陸から来た人かそうでない人かを判別しました。

『君が代』は日本統治時代に国歌として使用されていたため、多くの台湾人が歌えたからです。

台湾人の抗議部隊はラジオ局にも到達。ラジオ局を占拠して、『台湾人よ立ち上がれ』と日本語で呼びかけました。

国民党の鎮圧開始

予想以上の抵抗に危機感を覚えた国民党は表向きは対話の姿勢を示しますが、裏では大陸に援軍を要請。それに応じた中国大陸にいた国民党総裁の蒋介石は軍を台湾に派遣し、鎮圧を開始。

日本統治下時代に高い教育を受けた、医師・裁判官・役人などのエリートは逮捕・投獄・拷問をされ、その人達の多くは殺害されました。

国民党の一部はエリート層ではない市民にも無差別の発砲を行いました。

台湾の基隆という場所では検問所が設けられて、中国語を話せない台湾人を逮捕し、彼らの手に針金を刺した上で、粽と呼び、彼らを基隆港に放り込みました。

一部の学生や旧日本軍に所属していた台湾人は日本軍の軍服と装備を身に着けて、反撃を試みるも、国民党軍に圧倒され、台湾全土は国民党に掌握される事になったのです。

1992年台湾の行政院は事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表していますが、正確な犠牲者の数はいまなお不明で、政府・民間の双方で調査が続けられています。

暗黒政治の終わりと民主化の始まり

この事件の際に国民党から出された戒厳令は一旦解除されるものの、 1949年5月19日に改めて戒厳令が出され、1987年に解かれるまでの長い間台湾では暗い時代が続いていました。

戒厳令は解かれたものの、その後も国家安全法という法律によって、 言論の自由は厳しく弾圧されました。

台湾が今のような自由と民主主義の道を歩むようになるのは、 1992年に李登輝総統が刑法を改正してからです。

台湾の長い長い冬の時代が終わったのはつい最近の事なのです。

国民党に対する反逆運動とみなされていた二・二八事件ですが、今では台湾での民主化を広めた運動として評価され、台北市には当時の犠牲者を偲ぶ記念公園、資料館が建っています。

二・二八事件に関する作品は多く、『悲情城市』、『台湾人生』をはじめとした多くの映画作品が出されています。

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まとめ

よくも悪くも台湾を統治していた日本人がこの事実を知らない事に私は恥ずかしささえ覚えます。戦前も戦後も関わりが深い台湾について、私達はちゃんと知るべき時が来ているのではないかと思っています。

台湾というのは正式名称ではなく、中華民国というのが国としての正式名称です。この名称をよく思わない台湾人も多数います。台湾を中華人民共和国でも、中華民国でもなく台湾という国名にしようという台湾人もいます。

台湾ブームはいい事だとは思っていますが、こういった歴史を色々知っていく事こそが真の日台友好に繋がると私は考えております。

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